中部管区機動隊
管区機動隊は、昭和44年4月、道府県警察における集団警察力の強化を図るとともに、都道府県警察相互の援助体制を確保するため、全国の管区警察局の管轄区域ごとに編成されました。 中部管区機動隊は、中部管区内6県(富山、石川、福井、岐阜、愛知、三重)の若手警察官約600人で編成され、普段は各県警察の警察署等において自動車警ら等の勤務に従事し、大規模警備等においては県を超えて広域運用されます。 これまでに、治安警備の中核部隊として、成田闘争を始め、G20大阪サミット等の大規模警備事案に出動したほか、東日本大震災等の災害警備活動に従事し、それぞれ安全確保等に貢献してきました。
中部管区機動隊の歴史
創設当時(昭和44年)
創設当時は第二次安保闘争の最高揚期で、大学封鎖解除警備等に従事していました。
昭和50年代
昭和60年代
平成時代
中部管区機動隊の活動
訓練の様子
装備
昭和30年代から40年代にかけて導入され、治安警備等の場面で長年用いられてきた個人装備は、平成14年のサッカー・ワールドカップ警備を契機に、軽量かつ機能的な新型へと切り替えられました。
プロテクターは出動服の内側に着用するものから外側に着用するものへと変更されて着脱が容易となったほか、防護面積も拡大しました。
また、防護楯も金属製から、同等の強度を有する強化プラスチック製の透明なものとなり、軽量化が図られつつ、十分な視界の確保等も図られています。